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井口委員提出資料 (41 ページ)
出典
| 公開元URL | https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_64916.html |
| 出典情報 | 社会保障審議会 福祉部会(第30回 10/21)《厚生労働省》 |
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m 社会福祉法人みねやま福祉会
吉岡孝人 よしおか・たかひと 小
規 模 多 機 能 型 居 宅 介 護 はごろも
ふるさとの復興を願う歌声
苑ないきの 家 主 任
1981年生まれ
被災地派遣に行くことになり、自分より周りの人たち
介護福祉士
と』は素晴らしい時間でした。
の方が不安になっていました。不思議と私自身に不安
正しい基本的な介護ももちろん大切ですが、柔軟な
はなく、介護士としてできることももちろんですが、他に
介護、対応が求められていたように感じました。大勢の
何かできるか考えていました。自分にできることを考え、
中で生活する中で、支援する立場の自分のことを覚えて
一緒に行く上司にも相談し、余暇の時間の楽しみにな
もらうコミュニケーション能力も必要に思いました。覚え
ればと思いギターを持って行くことにしました。
てもらうことで短い期間でも信頼関係を築き、それがそ
実際現地に行くと避難者の方はそれぞれに自分の時
の時の良いケアに繋がると感じました。
間を持ち生活されていました。テレビでは毎日被災地の
介護福祉士によるギター演奏も
様子が流れていましたが、チャンネルを変えることなく
他の地域や故郷の様子を確認されていました。
同じ派遣隊のメンバーの協力もあり、夕食後の時間
を使い、歌を歌おうとなり実際歌ってみるとこれが毎日
の夕食後の日課になりました。自分が歌ったり、ギター
を弾きそれに合わせ被災者の方が歌ったり、明日は○
○を歌ってとリクエストくださる方もいました。最後の夜、
支援者の一人の方が「早く私たちの町が復興するよう
願いを込めて歌いましょう」とみんなで歌った 『ふるさ
被災地で役立ったサバイバルスキル
震災当日、金沢市に滞在しておりましたが、凄い揺
れを感じたものの、大きな被害を受けることはありませ
んでした、しかし、輪島市に入り、その壊滅状況を目
五宝健介
ごほう・けんすけ
介護福祉士
1979年生まれ
総
合老人福祉施設 はごろも苑 管理者
いる環境ではあるものの、不安のない安心できる生活
環境とは言えない状況でした。
現地での支援活動では、自覚している介護感の違い
の当たりして金沢市との差に驚愕しました。
「海と空」
に戸惑いがあり、日々のケアに手を出し過ぎていること
の建物の安全は確保されていましたが、それでも余震
を実感しました。徹底的な観察力、情報処理能力、機
が来ると少し怖かったです。また、様々な物資が揃って
器に頼らない介護技術の習得が大切であることを学び
ました。他法人の方々と一緒に活動することで自分が
行っている日常のケアを改めて見直す機会となり、被
災者を支援するだけでなく、自身の学びと成長にも繋
がりました。
また大前提として、被災地に入って活動するためには、
自分の身を守れないと始まりません。今回は、日頃か
ら趣味で行っていたサバイバルやブッシュクラフトの体
験等が大変役立ちました。どの状況下でも体を休める、
その場にある物で代用する体験等をしておくことが被
避難所にいる人みんなで体操をする
40
災地支援の実践では役立つと思いました。
吉岡孝人 よしおか・たかひと 小
規 模 多 機 能 型 居 宅 介 護 はごろも
ふるさとの復興を願う歌声
苑ないきの 家 主 任
1981年生まれ
被災地派遣に行くことになり、自分より周りの人たち
介護福祉士
と』は素晴らしい時間でした。
の方が不安になっていました。不思議と私自身に不安
正しい基本的な介護ももちろん大切ですが、柔軟な
はなく、介護士としてできることももちろんですが、他に
介護、対応が求められていたように感じました。大勢の
何かできるか考えていました。自分にできることを考え、
中で生活する中で、支援する立場の自分のことを覚えて
一緒に行く上司にも相談し、余暇の時間の楽しみにな
もらうコミュニケーション能力も必要に思いました。覚え
ればと思いギターを持って行くことにしました。
てもらうことで短い期間でも信頼関係を築き、それがそ
実際現地に行くと避難者の方はそれぞれに自分の時
の時の良いケアに繋がると感じました。
間を持ち生活されていました。テレビでは毎日被災地の
介護福祉士によるギター演奏も
様子が流れていましたが、チャンネルを変えることなく
他の地域や故郷の様子を確認されていました。
同じ派遣隊のメンバーの協力もあり、夕食後の時間
を使い、歌を歌おうとなり実際歌ってみるとこれが毎日
の夕食後の日課になりました。自分が歌ったり、ギター
を弾きそれに合わせ被災者の方が歌ったり、明日は○
○を歌ってとリクエストくださる方もいました。最後の夜、
支援者の一人の方が「早く私たちの町が復興するよう
願いを込めて歌いましょう」とみんなで歌った 『ふるさ
被災地で役立ったサバイバルスキル
震災当日、金沢市に滞在しておりましたが、凄い揺
れを感じたものの、大きな被害を受けることはありませ
んでした、しかし、輪島市に入り、その壊滅状況を目
五宝健介
ごほう・けんすけ
介護福祉士
1979年生まれ
総
合老人福祉施設 はごろも苑 管理者
いる環境ではあるものの、不安のない安心できる生活
環境とは言えない状況でした。
現地での支援活動では、自覚している介護感の違い
の当たりして金沢市との差に驚愕しました。
「海と空」
に戸惑いがあり、日々のケアに手を出し過ぎていること
の建物の安全は確保されていましたが、それでも余震
を実感しました。徹底的な観察力、情報処理能力、機
が来ると少し怖かったです。また、様々な物資が揃って
器に頼らない介護技術の習得が大切であることを学び
ました。他法人の方々と一緒に活動することで自分が
行っている日常のケアを改めて見直す機会となり、被
災者を支援するだけでなく、自身の学びと成長にも繋
がりました。
また大前提として、被災地に入って活動するためには、
自分の身を守れないと始まりません。今回は、日頃か
ら趣味で行っていたサバイバルやブッシュクラフトの体
験等が大変役立ちました。どの状況下でも体を休める、
その場にある物で代用する体験等をしておくことが被
避難所にいる人みんなで体操をする
40
災地支援の実践では役立つと思いました。