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参考資料2 障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン(第2版)案(別冊) (9 ページ)

公開元URL https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_74454.html
出典情報 社会保障審議会 障害者部会(第157回 7/10)《厚生労働省》
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○生活場面が変わると不安定な状態になる恐れがあるので、このままの生活を続けた
いのではないか。

<推定される本人意思>

○目の前にある洋服や食べ物の中から自分が気に入った物を選んだり、絵カードや
写真カードを見て、その日に行う活動を選べる。(入所施設職員)

○今は入所施設での生活しか経験がないので、他にどのような暮らしがあるか知らない
ので決められないのではないか。

○自宅では自分でお湯を沸かしてカップラーメンを作って食べる事がある。(家族) ○自分で食べたいものを調理して作れるような暮らしがしたいのではないか。
○施設では自分でお湯を沸かしたりカップラーメンを作る場面がなかった。(入所施
設職員)

○日常的なスケジュールが変わると落ち着きがなく不安そうにしていた。(家族)

<関係者からの情報>

意思決定支援会議のまとめ

○Bさんは会社員のお父さん(当時35歳)と専業主婦のお母さん(当時30歳)との間に昭和○年に生まれました。また、Bさんには5歳年下の弟がいます。特に重い病気にかかる
ことなく育ちましたが、2歳になっても言葉を話しませんでした。そして3歳児健診で知的な発達に障害があること、自閉症であることがわかりました。その後、Bさんはお母さんと一緒
に地域の障害児通園施設に通って、言葉を出やすくするような療育活動に参加したりしましたが、自分のやりたいことができなかったりするときにパニックになって大きな声をだ
したり、周囲の人に噛みついてしまったりすることが増えていきました。その後、小学生になりましたが、地域の学校ではなく特別支援学校にバスに乗って通うようになりました。
特別支援学校でも次にすることがよくわからなかったり、自分のしたいことができないときにはよくパニックになっていました。その時は先生と一緒に校庭を散歩すると気持ちが
落ち着きました。学校では先生が工夫して次の行動がわかりやすいように絵などで説明してくれるようになりました。それで、次に何をすればいいのかが少しずつ分かるようになり
ました。パニックになることも少しずつ減っていきました。中学校と高校も特別支援学校に通いました。小さい頃から身の回りのことはお母さんが手伝ってくれました。服などはお母
さんが表裏がわかりやすいようにおいてくれるので、間違えないように着ることができました。食事などはすべてお母さんが準備してくれましたが、中学生ぐらいになると好きなカ
ップラーメンは自分でお湯を沸かして作ることもありました。休みの日はお父さんがドライブに連れて行ってくれたり、デパートに買い物に行ったりしました。でも大きな音がしたり、人
が多すぎるとパニックになることがあったので、ドライブに行くことがだんだん多くなりました。
ドライブもいつも同じコースでないと不安になりました。ドライブの途中でコンビニエンスストアによって好きなお菓子を買うのが楽しみでした。Bさんが18歳になった時お
父さんが病気で亡くなりました。そのため、お母さんが働かなくてはならなくなりました。Bさんは特別支援学校の高等部を卒業する時、お母さんの介護負担を心配した進
路指導の先生から入所施設利用を勧められました。お母さんはなんとかBさんと一緒に暮らせるように色々と考えましたが、年少の弟の世話や仕事をしながら私の身の回
りの世話までできないので、Bさんは入所施設を利用することになりました。

<これまでの生活史>

Bさんがこれからどのような場所でどのような生活をしていきたいのか?

<意思決定支援が必要な項目>

意思決定支援のためのアセスメント表

(参考)Bさんの意思決定支援のためのアセスメント表